知覧で咲いた少年の微笑み。1000万円という盾を持って、僕が「自由」の重さを問い直す理由

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1.維新の地から、片道切符の空へ

幕末から明治維新を切り開いた原点の鹿児島市内から次は、知覧特攻平和会館へ。

「特攻へ行った人たちはどんな思いで、この知覧に入り、この地でどのように余生を過ごされたのだろう。」

それを知りたく知覧へ訪れた。

明治維新から日本は近代化を成し遂げ、欧米列強と並ぶ近代国家になった。ただ、日本を取り巻く安全保障は決して盤石ではなく、近隣のロシア帝国が東アジアへと日に日に影響を及ぼそうとし、日本は清国とロシア帝国に戦いを行い、勝利をする。東アジアや太平洋方面への影響力を持ち、国際的な影響力を日本は持つことになるが、当時それを快く思わなかったアメリカと日本はやがて敵対していく。

時代は、太平洋戦争へ突入する。

日本は、アメリカとの戦争に次第に撤退を余儀なくされ、沖縄戦を迎えることになる。日本の軍部は本土への襲撃をこれ以上されないために知覧基地から沖縄へ特攻作戦を行う。

2.10代半ばの「壁」ーー甘えをゆるされなかった少年たち

特攻と聞くと、無謀な作戦。テロ行為。軍部の洗脳で、少年たちが国家のために命を投げ売った自殺行為と思う方が増えてきていると思います。

「本当は違う、彼らは、家族が戦争の犠牲になるくらいなら自分の命をかけて家族を守りたい」

それが彼らの本心です。

彼らは国家への忠義は建前なだけで、彼らは家族を守りたい。国は無くなっても日本人は後世にも残したいというのが彼らの本音。

それが目的で、彼らはこの国を救うべくこの国の壁になったのです。

また、知覧へいけば見れるのですが、彼らの生前の写真が残されています。10代半ばの少年たちが笑顔で、写真にうつる光景。彼らは、最期まで笑顔でい続けた。それは、家族が笑顔で暮らしてほしい願いや、我々後世に残された日本人へこの国を頼んだぞといった意味が込められているのではないでしょうか?

3.開聞岳が見届けた「片道切符」の真実

彼ら若い兵士たちは、軍部のやり方に従って作戦に参加した訳では無い。

軍部のやり方に不満を抱き、それでも彼らは国を思って最期の戦いに挑んだ。

その証拠に、飛行場を離陸する際に、上官を銃で銃撃するものがいた。

つまりは、彼らが特攻に志願したのは、あくまで彼らなりの祖国への愛と、祖国を残すという使命を全うすることである。

彼らは、沖縄へ向かう前に、本土で最後に見えてくる山、開聞岳をぐるっと旋回し、生まれ愛した祖国、本土と別れを告げる。

4.ホタルの約束と、見送り続けた母の涙

特攻は、若い少年兵士だけが、戦った訳では無い。

特攻へ向かう少年たちへ、残りの余生を思う存分に生きてほしい。私財を投げてまで彼らに献身的に支えた特攻隊の母、とめさん。

彼らは、親元を離れ、この地へやってきたが、彼らも思春期の子供だった。彼らが故郷や親を思い出すとき。それはとめさんのご飯のときだろう。とめさんは彼らが食べたいものを食べさせた。

彼らは、とめさんに感謝をし、知覧のお母さんと思いながら、とめさんに甘え、特攻へ向かう前、故郷の家族へ向けた遺書をお世話になったとめさんに渡していた。

彼ら少年ととめさんとの間の話で、印象的だったのが、ホタルの話。少年たちは今生の別れではなく、姿や形が変わってもまた戻ってきますと言った。

彼らは、沖縄へ向け特攻へいったのだが、その日の夜に、大きなホタルが富屋食堂に舞い戻ってきた。​トメさんは、その光を見て「ああ、あの子が帰ってきたんだ」と直感したという。「ホタルになって戻ってくる」という、一見信じがたい約束。しかし、死を目前にした少年兵にとって、それは愛する場所へ魂だけでも帰りたいという、切実な「甘え」であり、最後の「誠実さ」だったのかもしれない。

​見送る側も、いつ米軍がやってくるか分からない恐怖の中にいた知覧の人々。彼らもまた、命を懸けて少年たちの最期に寄り添い、共に戦っていたのだ。

5. 彼らが守った「未来」をどう生きるか

彼らは、この国を残すべく命を差し出し守った。

その彼らに与えられた未来は、自由でかけがえのない時間である。

私は、彼らの分まで人生を楽しみつくそうと思った。

私は投資をする。

豊かな人生を送るべく。

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